サイレンススズカを思い出す
11月1日には、第162回天皇賞・秋(G1)が開催される。最大の注目は、初めて顔を合わせるアーモンドアイ(牝5歳、美浦・国枝栄厩舎)とクロノジェネシス(牝4歳、栗東・斉藤崇史厩舎)の牝馬2頭だ。1番人気はG1・7勝のアーモンドアイに落ち着くだろう。今年の始動戦となった2走前のヴィクトリアマイル(G1)では、終始楽な手応えのまま2着に4馬身差をつける横綱相撲を披露。しかし前走の安田記念(G1)は、スタートで後手を踏むと、直線では優勝したグランアレグリアに逆に突き放されて2着に敗れた。
騎乗したC.ルメール騎手はレース後、「いつものような脚ではありませんでした。コンディションは良かったのですが……」と完敗を認めた。
現役最強牝馬として君臨するアーモンドアイも5歳を迎え、昨年の有馬記念(G1)以降は3戦1勝と一時期の勢いはない。春には、ドバイ遠征後にレース中止が決まり、参加することなく帰国の憂き目にあった。舞台はベストの東京2000m、そして前走から十分な間隔を空けての一戦。JRA史上最多となる芝G1・8勝目を手にすることはできるか。
アーモンドアイの最大のライバルが「現役最強牝馬」の座を狙うクロノジェネシスだ。これまでG1勝利は昨年の秋華賞と今年の宝塚記念の2鞍。しかし、11戦して「6-2-2-1」という戦績が示す通り、安定感は抜群だ。唯一、着外に敗れた昨年のエリザベス女王杯(G1)も0秒3差の5着だった。
衝撃の強さを見せつけたのが、前走の宝塚記念だ。そのレース後、北村友一騎手は「4コーナー手前ではゴーサインを出したというよりも、馬が強くて自然に上がって行きました。手応え十分で、この手応えなら絶対伸びると思いました」とクロノジェネシスの強さを表現した。
前走から4か月の間隔が空いたが、アーモンドアイと同じく鉄砲駆けするタイプで、このローテーションはむしろプラス。馬場がやや渋れば、アーモンドアイ以下を子供扱いしてもおかしくないだろう。
武豊とのコンビ結成
そんなサイレンススズカにとって転機となったのは、9戦目の香港国際C(G2)で武豊騎手とコンビ結成だ。以前からサイレンススズカの素質を見抜いていた武豊騎手は、同レースの鞍上が決まっていないことを知り、橋田満調教師に直談判。「ジョッキーは騎乗依頼を待つしかない」という自身のスタイルを崩してまで騎乗を熱望したことで、コンビ結成となった。
結果は5着に敗れたが、このレースを通して武豊騎手は自身の見立てが間違っていないことを確信。また、橋田調教師に「この馬には押さえない競馬が向いている」と進言したことが、稀代の逃げ馬誕生のきっかけとなった。
次走のバレンタインS(OP)を2着に4馬身差をつける逃げ切り勝ち。サイレンススズカのペースで逃げることがベストな騎乗であることが証明された。ここから武豊騎手とのコンビで連勝街道を突き進む。
大差勝ちを飾った金鯱賞(G2)、初G1制覇となった宝塚記念(武豊騎手はエアグルーヴ騎乗のため、鞍上は南井克巳騎手)、エルコンドルパサーとグラスワンダーを退けた毎日王冠(G2)と、衝撃のスピードを武器に逃げ切り、勝ち星を積み重ねた。
そして、迎えた天皇賞・秋。
武豊が初めて泥酔した日・・・
1998年11月1日、1枠1番に入ったサイレンススズカは単勝1.2倍の断然人気に推された。当時、ファンは勝ち負けではなく、どんなペースで逃げて、どれだけ強い勝ち方をするのかに注目していたほどである。好スタートから快調に飛ばすサイレンススズカは1000mを57秒4の超ハイペースで通過。3コーナーで2番手に10馬身、さらに3番手に5馬身と大きく差をつける大逃げの展開にスタンドのファンは大きく沸いた。
しかし、4コーナーでサイレンススズカは突如失速し、そのまま競走中止。競馬場は悲鳴に包まれた。
レース後、左前脚の手根骨粉砕骨折が判明し、予後不良の診断。最強快速馬は早すぎる死を迎えた。
武豊騎手は「悪夢としか言いようがない」とコメントを残した。のちに、この出来事について「泥酔したのはあのときが初めて」と話していることからも、突然の別れは相当ショックで、サイレンススズカはかなり想い入れの強い馬だったことがわかる。
沈黙の日曜日となった1998年の天皇賞・秋。その後、11月1日に同レースは2回開催されているが、1枠1番の馬は勝っていない。
今年は1枠1番にブラストワンピースが入った。同枠番での成績は3戦3勝と好相性。22年の時を経て、サイレンススズカへ弔いの勝利を挙げることができるだろうか。